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広島高等裁判所 昭和28年(ツ)11号 判決

上告人 被控訴人・原告 茅野喜三郎

訴訟代理人 馬淵分也

被上告人 控訴人・被告 田口文三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告の理由は末尾添付の上告代理人提出の上告理由書の通りでこれに対する当裁判所の判断を次に述べる。

第一点について

所論の要旨は甲第三十五号証の金員領収証には「仮執行を免れるための担保として提供したもの」との文言なく、被告本人尋問中にも右の如き陳述はないから右三十五号証記載の領収即ち弁済金受領証を排斥して右の如く認定するにはその理由を附さなければ理由に齟齬があることになる。又仮執行を免れるための担保と云うのは民事訴訟法第五百十二条第五百条により上訴裁判所に対し仮執行宣言に基く強制執行の停止を申請し裁判所の停止決定によりその命じた担保を裁判所に提供して始めて云えることで判決給付額をその儘当事者代理人の弁護士間で弁済金として授受せるものを仮執行を免れるための担保と認定したのは明かに法令違背である。即ち第一審判決は被上告人の弁済によりその部分は確定したから原判決が第一審原告勝訴部分を取消したのは民事訴訟法第百九十九条第一項に違反する結果となると謂うにある。

然しながら原判決挙示の甲第三十五号証、被告人尋問の結果(第二回)と弁論の全趣旨を綜合すれば被上告人において仮執行宣言に基く執行を受けるのを回避するため第一審判決で敗訴した金額を一応支払うこととし控訴審において原判決が取消され被上告人が勝訴した場合には返還を受ける趣旨で訴訟代理人を通じて右金員を提供したものであることが認められ、右の如く仮執行宣言附の判決がある場合敗訴者が控訴して仮執行宣言に基く強制執行の停止を申請しないで敗訴した金額を一応弁済して執行を回避することは屡々行われる事例である。即ち右は控訴人が勝訴した場合その返還を受けることを条件としてなす条件附弁済であつて決して控訴権の消滅をきたすものではない原判決が仮執行を免れるための担保として原告訴訟代理人に提供したと云うのは用語の妥当を欠き多少言葉の足らない点があるが結局右の趣旨と見られるから所論の甲第三十五号証はこれを排斥したわけではなく論旨は独自の見解で適正にされた原判決を論難するに帰し採用の限りでない。

第二点について

所論は要するにその主張の所有権移転登記手続請求事件、占有保持の訴、仮処分決定異議事件において被上告人は何れも敗訴確定し、従て被上告人に何等占有権原のないことが確定しているのに原判決は被上告人に占有権原ありと判断しているから明かに既判力を無視した違法があると謂うのであるが、被上告人が上告人の前主に対する所有権移転登記手続請求の訴で敗訴しても占有権原がないことが確定したわけでなく、原判決挙示の各証拠によれば原判決認定のように被上告人は適法に占有を開始し上告人が本件家屋の所有権を取得した当時迄その占有を継続していたこと(所論の占有保持の訴、仮処分決定異議事件で被上告人が敗訴して確定したのは何れも上告人が本件家屋の所有権を取得してその明渡請求の訴を提起した以後であること記録上明白であるから上告人が所有権を取得する迄占有権を認めた叙上の場合は右既判力は問題にならない。)が認められるから原判決が既判力に反する認定をしたことにはならず論旨の批難は当らない。

第三点について

原判決は次のような事実を認定している。即ち本件家屋の前主の父桑原幸次郎と被上告人は義兄弟であり右桑原が本件家屋敷地等を訴外中村豊吉より買受けた際所有名義を同人の長女である前主の名義としたが従来通り被上告人に対しこれを使用することを許し爾来被上告人は引続き明渡に至る迄農機具修理工場、物置等に使用し来つたこと、昭和十七年頃被上告人と右桑原との間に不和を生じ同人は右家屋を被上告人に賃貸したものであると主張し賃料を請求したが金額が折合わないまま同人は爾後改めて賃料を請求することなく被上告人に無償で使用させていたこと、昭和二十一年頃前主が本件家屋を転売しようとする様子が見えたので被上告人は前主とその所有権の帰属を争つて所有権移転登記手続請求訴訟を起したが敗訴したものであること、そして上告人が本件家屋敷地の所有権取得登記を経由した翌日である昭和二十三年十一月六日被上告人に対し催告書到着後三日以内に家屋を明渡すべき旨申入れたがこれを拒否したので同月八日家屋明渡の訴を提起し該訴訟では上告人は第一審で勝訴したが被上告人がこれに控訴し第二審では被上告人が控訴後本件家屋の占有を放棄したとの理由で上告人の請求が棄却されたものであること等々である。以上の事実は一部は当事者間に争なく他は原判決挙示の各証拠によつて認定できる。然らば被上告人は前主に対する本件家屋の所有権移転登記手続請求訴訟で敗訴はしてもその起訴の時から悪意の占有者であつたとは言へず又仮に右家屋明渡の訴訟において被上告人が二審で敗訴し不法占拠であることが確定しても右訴訟において上告人が弁護士に支払つた報酬、手数料は被上告人の右不法行為から生じた直接の損害(例へば得べかりし賃料相当の損害金)とは言へずあくまで副次的の損害であつて、これは右不法行為との間に所謂相当因果関係はないものでその損害の賠償は求め得ないものと解するのが相当である。そうでないと通常の不法行為や責務不履行に因る賠償請求訴訟において原告勝訴するときは原則として敗訴者に対し別訴で弁護士の報酬手数料を請求し得るわけで該訴訟で相手方が争へば更にその際の弁護士の報酬手数料を別訴で請求し得て尽くるところがない結果となる。従て右両者間に相当因果関係があると云う所論は採用できない。又所論は上告人が被上告人に対し三日以内に家屋明渡方の申入をした際これを拒否した方法等が正に挑戦的敵対的であつたと謂うが被上告人が本件家屋を占有するに至つた事情が前顕認定事実の通りであるとすれば被上告人が明渡を拒否し且つ応訴して争うことは自己の権利を擁護するものとしては当然の措置であつて決して不当応訴とは云えず応訴行為自体には何等違法性がないから賠償責任を生ずる余地がない。所論のように該訴訟において被上告人が前判決を無視して再び所有権を主張したとしても右応訴自体が不法行為を構成するような違法性を帯びるとは謂えない。論旨は結局原審の専権に属する事実の認定を攻撃し更に独自の見解を以て適正になされた原判決の判断を論難するもので到底採用できない。以上説示した通り何れの論旨も理由がないから民事訴訟法第四百一条第九十五条第八十九条を適用して主文のように判決した。

(裁判長裁判官 植山日二 裁判官 佐伯欽治 裁判官 松本冬樹)

上告代理人馬淵分也の上告理由

第一点原審判決理由中本案前の主張に対する判断は民事訴訟法第三百九十五条第一項六号及び同法第五百十二条同第五百条に背違せる違法がある。原審判決はその理由の冐頭に於て「成立に争ない甲第三十五号証被告本人尋問(第二回)の結果と弁論の全趣旨とを綜合すると被告は被告訴訟代理人の指示に従い同人を通じ昭和二十六年十二月十九日原審における被告敗訴部分金参千八百七十五円を仮執行を免れるための担保として原告訴訟代理人に提供したものであることが認められるから右の事実を以て被告が控訴権を放棄したものであると推断し或は被告に控訴の利益を欠くものであるとの主張は該らない原告の主張は採用しない」と判断せられた。然るに成立に争いのない甲第三十五号証の金員領収証には明かに「金参千八百七十五円也昭和二十六年(ハ)第六九号判決右正ニ領収仕リ候也」と明記せられて判断の如き「仮執行を免れるための担保として提供したもの」との文言は那辺にも認められない。次に被告本人尋問中判断の如き本件金員の交付が仮執行を免れるための担保として提供したものとの陳述は発見せられず結局控訴代理人の前顕の如き主張が陳述せられているのみであつて成立を認めた甲第三十五号証は領収-弁済行為に非ずして預け金であるとの反証は挙げられていない。仮りに被告本人尋問の結果が弁済に非ずして預金なりとの陳述が存在したとしても成立に争ひのない甲第三十五号証の弁済受領証書を排撃するに付てはその理由を付せなければならない此証拠排撃の理由を付せずして被告本人尋問の結果として担保と判断したのは理由に齟齬があるものと思料する。次に第一審判決の主文には被上告人に対し金参千八百七十五円の支払を命じ仮執行の宣言を付せられていることは裁判上顕著にして当事者間争はないところである、果してそうだとすれば敗訴被告が之れに対し上訴を提起して仮執行を免れるためには民事訴訟法第五百十二条に基き同法第五百条により上訴裁判所に仮執行宣言に基く強制執行の停止を申請し裁判所の停止決定によりその命じた担保を裁判所に提供しなければ仮執行を免れる担保とならないことを明定しています。然るに判決給付額をその儘当事者の代理人である弁護士間に於て弁済金として授受せるものを取つて以て停止の效力を生ずる担保と認定せられたのは明かに前顕の法令に違背する判断であります即ち此判断は結果論として上訴裁判所の職権の冐涜行為を自認せられたものである。此理由により第一審判決は被上告人の弁済によりその部分は判決確定せるを以て原審判決が原判決中第一審原告勝訴部分を取消したるは民事訴訟法第百九十九条第一項に違背する結果を招来します。

第二点原審判決理由二、本案に対する判断の内被上告人に占有権原ありとの判断は民事訴訟法第百九十九条第一項に違背する違法がある。原審判決事実摘示によれば当事者双方の事実上の主張は当審で次の通り述べた外原審判決(第一審)に記載した通りであるからここにこれを引用する。又証拠関係については原審判決事実に記載した通りであるからここに引用する、とあり第一審判決事実は原審判決事実に引用せられています上告人提出の甲第一号証乃至甲第二十七号証の一、二も引用せられているが此内甲第八号証の前訴(被上告人対上告人前主田村文子間昭和二十一年(ワ)第一九号事件)に於て被上告人は本件の基本である係争家屋の占有は前主からの賃貸借でも使用貸借でもないと主張し(甲第七号証の三準備書面御参照)てその上告代理人の賃貸借であるとの主張を否認し所有権に基く占有権との主張を維持して被上告人の敗訴が確定しました。次で本訴の基本である家屋明渡訴訟となつてから以後被上告人より上告人に対する本件家屋の占有保持の訴は被上告人の敗訴が確定し(甲第三〇号証の一、二御参照)又その保全訴訟も又控訴審で勝訴となり確定しました、即ち本件家屋に付被上告人の占有は本件原審判決前に於て敗訴確定していますから原審判決が下した被上告人の占有権者なる判断は既判力即ち民事訴訟法百九十九条第一項に違背せる違法がある。

第三点原審判決はその理由二、本案に対する判断の内弁護士報酬手数料との間に相当因果関係がないとの解釈は民法第百八十九条第二項同第百九十条同第百九十一条同第百九十八条同第七百九条に違背せる違法がある。原審判決はその理由中に於て被上告人の本件家屋占有は権原あるもの即ち善意の占有者であると判断している。元来被上告人は本件家屋には上告人前主を被告とする本権の訴(昭和二十一年(ワ)第一九号第八、九号証御参照)に於て敗訴したから其起訴の時より悪意の占有者と看做されることは民法第百八十九条第二項の法規的効果であります。従て上告人が本件家屋を前訴確定後なる昭和二十三年十一月五日所有権取得の際に於ても亦被上告人は悪意の占有継続中で当然明渡の義務があるから上告人は被上告人に対し期限を定めて明渡の意思表示を求めた処(甲第十二号証の一、二御参照)被上告人はその期限内に理由を示さずして明渡を拒否しました(甲第十三号証の一、二御参照)茲に於て上告人は悪意の占有者被上告人に対し自ら救済を求めることができないから止むなく明渡の提訴をしたものであることは第一審判決理由に示す如くであり此提訴は正当防禦であつて然も緊急不可避の救済行為であります。一方上告人は被上告人に対し当時居住せる家屋を同年十二月末日迄に明渡さなければならぬ立場に置かれて被上告人の明渡拒否は上告人の居住の場所を失うこととなるものであります(甲第十二号証の一、御参照)これにより被上告人の拒否の意思表示は明かに被上告人に対する挑戦的敵対行為であります此点に付第一審判決理由は被上告人の争権の濫用とし被上告人は「自己の不法占有を顧みず特段の事由もないのに正当権利者である上告人に対し逆捩的に立入禁止を宣言するが如きことは上告人を愚弄し侮辱する以外の何物でもなく其処に被上告人の誠意の一片も認めることはできない従つて斯かる被上告人の無誠意無反省な態度に対し原告が訴の提起を以て対処することは洵に止むを得ない所であり右明渡請求訴訟は偏えに被告が自らこれを挑発したものと云うことができる(中略)これを要するに被告は右居宅に対する不法の占有と自己の無誠意無反省な態度とに因つて右明渡訴訟を挑発し更に同訴訟においては争権の自由を濫用して専ら争わんがための争をなし以つて訴訟の引廻しと自己の居宅に対する不法占有の持続とを図つたものと謂わなければならない而て斯かる争権行為が公序良俗に違反する違法のものであることは疑問の余地がないのであるから被告はその違法な争権行為により自ら挑発した右明渡請求訴訟において原告に生じた損害を賠償するの責任を免れることはできない」と判断せられたに対し、原審判決が漫然弁護士の報酬手数料は相当因果関係がないとせる判断は果して理由ある判断であろうかを疑うものであります。被上告人の悪意占有者であることは前顕の既判力により確定の事実であります。従つて悪意の占有者は民法第百九十条同第百九十一条の正面解釈により又同第百九十八条の反射的解釈により上告人の蒙りたる損害を賠償する責を負担すべきであります。次に民法第七百九条の不法行為に因る損害賠償に付ては曩に大審院に於て「訴の提起が公序良俗に反し不法行為を構成する場合に於て被告が弁護士に委任して応訴したることが相当なるときは被告は民法不法行為に関する規定に従い原告に対し弁護士に支払いたる相当範囲の報酬其の他の費用の賠償を請求することを得るものとする」旨の昭和十八年十一月二日民事刑事部の連合判決があります(大審院民事判例要旨集民法中四六六頁最高裁判所事務総局編御参照)此判例は本件と原被告の地位を顛倒せる場合ではありますが訴を挑発し前確定判決の主文(理由を包含する)を無視して之を蹂躙する行為は(明渡拒否行為)公序良俗に反する不法行為であるから上告人がそのため蒙つた一切の損害は被上告人の行為との間に相当因果関係が存在するものと信ずる次第であります。以上之れを要するに被上告人の責任は民法の定むる処の悪意占有者としての損害賠償と不法行為に基く損害賠償責任との競合であつて然もその責任の基本は前顕所有権不存在と占有保持の訴による敗訴即ち判決遵守の義務違背によるものであります。

以上の理由により原審判決の破毀を求めて上告人の請求認容の判決を求める次第であります。

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